前回記事『なぜWebメディアのテキストは読まれないのか?ヒトに向けて書かれていない「Webライティング」問題を構造的に考える』では、現状のWebライティングがそもそもノウハウとして構造的欠陥があるという点を指摘し、巷のメソッドは一度アタマから切り離して自ら独自のライティングメソッドを切り拓く必要性について述べた。今回はその解決篇として、一筋の道を示してみたい。
前回も述べた通り、既に定説となっている「Webユーザーがテキストを読まない」という問題の原因は、明確な検索クエリに対して必要十分な情報をまとめるSEOライティングの手法が、ニアルイコールWebライティングのノウハウになっていることにある。実際は世の中の大半の記事は潜在層~準顕在層向け(つまりなんとなく読んでいる状態)なのに、ほぼすべてのテキストが顕在層向けの方法論で書かれているから必然文字は「透明化」するわけだ。
メディア在籍時代に読了率やアクション率を上げるためにチームでUIテストをやったが、表面的なデザインや仕様をチョコチョコいじっても結局何も変わらなかった。その後私は「記事自体に問題があるのではないか」と考え、ライターに発注していた本文作成を止め、自らテキストの書き方の試行錯誤を始めた。ユーザー目線で見た時そもそも記事自体がつまらんかったので、自分自身でも発見と知的興奮のあるものに変えたのだ。試行錯誤といってもたいして時間はかからず、結果は圧倒的に変わった。読了率は倍増し、アクション率は5倍になった。記事メディアにおいて、一番のUI(UX?)は記事本文であるということがわかった。
SEO記事を除けば文章は「どうとでも書ける」ために正解はないようにも思えるが、目的を持って作られるコンテンツである以上、正解は厳然と存在する。広告記事の場合、目的は「態度変容」で、そのための中間指標が読了率やCTAのクリック率になる。ここを観ていないと「書き散らかし」状態になるので成長がないが、少なくとも外部のライターにはその数値は共有されない。
メディア在籍時に、自ら仮説を持って執筆し、閲読データを通して何万人の読者と「対話」を重ねて生み出した方法とは以下のようなものである。
詰め将棋のように書く「一直線ライティング」
記事広告の文章は、締めの一行であるタグラインからの逆算で「詰め将棋」のように一直線に書く。つなぎなど無駄な言葉は一文字も入れない(十割そばのような文章が理想)。メディア時代、他社の記事広告を思いっきり添削したら(自社だとカドが立つので)商品情報まわり以外は全部「トルツメ」となった。リード文から「当てに行ってる」腰が引けた姿勢で、意志も読者の認識をひっくり返してやろうという工夫も一切ない。延々3,500文字の「言葉のあたりまえ体操」が続いていた。
こういう責任回避的な文章は文字量は多いが、いくら読んでもアタマの中に何のイメージも形成されない。文章の最悪の手本は行政の文書。入札の仕様書は重複だらけでその「読み解き」に莫大なコストがかかるのでバカらしくて私は受けない。書き手が「なんとなく不安」だからと書き足す行為は読み手ではなく、あとでクレームを受けたくない書き手自身へのサービスだと心得るべき。無駄な文字は社会の迷惑だ。
一本の記事の中で読前➡︎読後の認識変化を完了させるには、締めのタグラインに向けてのコンテクストづくりがすべて。単に文字を並べてはダメで、タルい場所があれば即離脱やシラケにつながる。閲読のヒートマップを見れば読者は残酷で、その部分からスッと青くなる。この恐怖心を知らなければ緊張感なくダラダラと書いてしまうが、毎度突き付けられればなんとかそれを回避しようと考える。
結果わかったことは、すべての文字が面白さ=知的くすぐりを帯びて、一文字ずつ読者の認識を塗りかえていくものでなければならないということだ。将棋の棋士は「美しい」と感じる方に直感的に打っていくそうだが、書く方は「面白い」と感じる方に話を転がしていくと感情を喚起する文章になる。こういうものは一定センスによるので、くすぐり方の加減をつかむためにも、お笑いの大量インプットは有効だ。
着眼点がすべて。その上に技術が活きる。
書く仕事はまず本当に書くべきことを見定める=What to say?の発見が大事で世の中の98%の原稿はコレがズレている。ここには「哲学的」な思考力と素養が必要で、まず最初の作業はここの見定めだ。その作業を適切に行った上で当然、どう書くか=How to say?も大事。これは「技術」にあたる。好不調によらず手を動かしてるだけでスッといい文章に纏まる「底力」である。
言い換えれば、態度変容させる記事づくりは「視点」と「始点」がすべてである、ともいえる。まずWhat to say?の部分は、生活者のなにげない日常の中でどの点を切り取って問題提起するのか(視点)?そして次にそれを伝えるための最適な書き方(How to say?)の検討だ。結論となる解決イメージを提示した時に一番気持ちいい落差が生まれるには、話の「始点」はどのあたりに置くとよいのか?を逆算して考える。すべては読者の認識をどこから➡︎どこへ動かすか?それが記事のコンテクストを考える基本となる。
基本理念は「Less is More!」
記事制作で勘違いしてはいけないのは「文字量=情報量」ではないということだ。受け手のアタマに残った歩留まりこそが結果なのだから。そして情報量は文字よりイメージの方が断然多い。1行でもパッと豊かなイメージを喚起して記憶させるなら、Webライティング的な5,000文字より遥かに情報量は多い。
書くということは、書かないものを決めていく作業でもある。そして、余分な文字は、本来伝えるべき文字を埋もれさせる。ここには過敏なくらいになった方がいい。今の人は無駄な文字を書きすぎる。インプットしたうち90%の情報は捨てることになるが、調べた自分の中には残る。それは次回以降の肥やしになる。
記事や文字が働く「現場」は受け手の脳内にある。
文字とは、受け手の脳内に特定のイメージを切り結ぶための触媒。何を書いたかではなく、受け手にどう解釈されたかが全て。文字は文字通りには伝わらないので、狙ったイメージを喚起するには技術が必要。コトバたちが働く現場は送り手側のサイト内やサーバではなく、一人ひとりの読み手の脳内にある。
記事を書くときに意識すべきは「読み手は書き手の半分以下の集中力で読むもの」だということ。書く方が誤字だらけ程度の集中力で書いたものなら尚更、読み手への歩留まりはほぼゼロと思った方がいい。だからあらゆる工夫をして文脈に引き込み、印象づけ、また想起のフックとなるアンカーを打ち込むべし。
▼この記事の内容はポッドキャストでも配信しています
ポッドキャストのエピソード · あした使える"聴く"ネタ帳 | マーケターの真夜中ラジオ| マーケティング · 2024…
マーケ現場の「なんか違う」は、一歩目の踏み出しの弱さ=言語的整理の不足が原因。まずはコトバで太い骨格を通した上で(STEP①)、デザインによってそれを肉付けする(STEP②)のが基本だが「それっぽいが何も言ってない未完成なコトバ」をベースに[…]
なぜ日本のタイアップは「片想い」なのか。代理店時代、メディアに記事広告を依頼することが多かったが期待してあがってきたら「超薄味」てか、無味無臭。広告主のメディア愛を受けてのタイアップなのに、メディアサイドは塩対応。この歪んだ関係性、どう[…]
はじめまして、神保と申します。広告屋さんです。新卒から10年超、広告代理店に勤務した後、Webメディアにて記事体広告(≒…