クライアントのコミュニケーション領域における問題解決業、というものに長年携わってきたので、複雑に絡み合った問題をスッと一気に解きほぐす一筋の糸口を発見することにモーレツな快感を覚える体質になってしまった。逆に問題を組み替えただけの解決策や、さらに複雑にしてしまうものには強い不快感を覚える。
世の中をフクザツにする困ったサービスたち
この視点で見ていくと、世の中にはサービスの顔をしてユーザーの利便性を下げる困ったチャンが多いことに気づく。
たとえば携帯各社の料金プラン。○○割だ××割だと一見お得そうなプランをあれこれ出す前に、そもそも安い一本のプランにしてくれればいい。あるいはJR各社が出しているWeb予約システム。あれも値引率が低すぎてわざわざ使う必要性を感じない上に、JR東のシステムでとった券は関西の窓口では発行できないなど思わぬ落とし穴が多い。分社化しているからしょうがないかもしれないが、あれでは無い方がマシだ。
保険の無限にある特約や証券会社の投資信託にしてもそうだ。本来買うべき商品は全体のうちの1%もない。残りの99%は誰のためのものか?もちろんユーザーのためではない。その会社が大量に抱えるセールスの人件費を賄うためだ。
言葉のあたりまえ体操も根は同じ
最近ふと、私が嫌悪する言葉のあたりまえ体操への嫌悪感も同じところに根ざしていることに気づいた。人々の目に触れる場所に、既に誰でも知っている当たり前の文字をダラダラと並べたてる。これの本質的な問題は、本来伝わるべき新たな気づきや発見が埋もれてしまう点にある。そしてこれらの文字情報も、読者ではなく拙い送り手のために存在する。
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