長嶋茂雄がプロ野球界、いや国民的スーパースターになるまでの日本では「野球なんぞで給料をもらうなんてけしからん」と考える人が多かったという。今ではそんな人は少なくなったとはいえ、スポーツの社会的役割や本来の価値が正しく認識共有されているとも言い難い。
プロアスリートの日常
中・高と野球部だった私は、地味なティーバッティングや素振りをしながら漠然と「プロ野球の練習というのは、ピッチングマシンを揃えまくって150キロの球をガンガン打ってるんだろうなあ」と想像していた。
時は過ぎ、すっかりビジネスマンになってからふらりとプロ野球のキャンプ地を訪れた私はその練習の地味さに驚いた。グラウンドの端から端まで、見渡す限り全員がティーバッティングをしていた。2箇所だけ前から投げた球を打つケージもあるが、それも山なりのスローボールだ。
しかしよく見ると、ある人は後ろからのトスを打つ練習、その隣は背後からのトスを、またある人は段差に軸足を置いて極端に踏み出した足に体重移動して打つ練習をしていた。各人が明確な課題意識と目的を持ち、それを身体化するために練習を行っていたのだ。
投手も同様に、全く投げ込みはせず、ひたすらシャドーピッチングというタオルを使った腕振りの素振りを繰り返していた。プロ野球の選手は中・高の自分たちと同じ、あるいはもっと地味な練習を積み重ねていたのだ。
アスリートはたゆまぬ「自己変革」の体現者
ビジネスマンだった私は、その地味さに逆に衝撃を受けた。果たして自分はビジネスにおいてここまで明確に課題を認識できているだろうか。自分の仕事における素振りは何か?走り込みは何か?ティーバッティングは何か?そしてそれらの身体化の努力を毎日積み重ねられているだろうか。
そこで思った。アスリートとは、私たち大衆に「日々、自らを変え続ける」ことについてのインスピレーションを送り続ける仕事なのだ、と。ビジネスと別世界の特別な人たちではなく、ましてや単なる「感動をくれる人たち」ではないのだ。自己を変え続けたアスリートから何かを受け取った私たちは、今度は自分を変え続けるための具体的な行動を開始しなければならない。