人には何故論理が通じないのか?人類最大の難問「人を動かす」ための技法

人を動かす、ということほど切実で難しい問題はない。先日も「こんなに分かりやすくロジカルに整理して伝えたのに、どうしてあの人は動いてくれないんだろう」という懊悩を目の当たりにしたばかりだが、ロジカルに伝えればその通りに動くのであれば人生はもっとチョロいはずである。私は一時期、おそらく日本で一番「記事広告」を大量に書いていた(MAX16本/月)のだが、その「記事広告」においても実はロジカルに書けば書くほど伝わらない。

ロジックは神のもの。レトリックは人のもの。

でもそれは当然。そもそもロジックとは西洋において「神との取引と契約」のために作られたもの。長年迫害され続けたユダヤの民が「ちゃんと戒律を守りますから、かわりに我々を救ってください」と、祈りという内的対話の中で磨かれてきた神とのコミュニケーション技法だ。

人間にはロジックが通じないのだとすれば、どうすればいいのか?それには人とのコミュニケーションのために発明された技法=レトリックを使えばよい。人は感情の動物なので、モチベーションを動かすには理性ではなく感情を喚起する必要があるのだ。理詰めで部下を詰めたとしても、日本人にロシア語で話しかけてるようなもので、論理だけが自己完結して終わる。ご高説を披露した上司はおおいに自己満足するだろうが、時間の無駄である。

上質なレトリックには「神」が宿る。

レトリックといってもとにかく「韻」を踏めばいいというわけではない。たとえば広告コピーの場合、3-4単語の組み合わせだが、その組み合わせ可能性は無限大にある。その中で「これが答えだな」とスッと決まる瞬間がある。それは多くの場合、意味性(What to Say?)とレトリック(How to Say?)の交差点であることが多い。そうしてできた表現は、元々の意味を拡張させる。レトリックによって、無限の可能性から選び出された相対的表現の解が「絶対値として確定」するのだ。

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