自分らしく生きること。それは、自分の感性で毎日を捉えなおしていくこと。

ニューノーマルの時代は、ますます「個」が問われる時代である。元来「個性」とは自由闊達でワクワクする概念として受け止められていたはずであるが、それは単なる「ないものねだり」だったのかもしれない。現実に個性を問われ続ける昨今、公務員やサラリーマン志向が増えているのがその証左である。

自分らしさとは目的論ではなく結果論である。

「自分らしさ」という時、なぜか人は(あるいは日本人は)探し求めてある時突然パッと見つかるものだと思っている。しかしそれは単なる幻想にすぎない。自分らしさとは画期的にひらめくものではなく、自分らしい判断を積み重ねていった末に、気づけば到達しているものである。

「おおいに自分らしく生きてみろ」と言われた時「正直しんどい」と多くの現代人が思うのは、この部分のそもそもの掛け違いに原因がある。自分らしさを見つけるためには東南アジアに自分探しの旅に出る必要もなければ、寺に籠って滝にうたれる必要もない

自分の感性で物事を捉えなおしていくこと。その積み重ねが自分らしさだ。

自分が今の自分になったのも、何かひとつの画期的なひらめきのせいではないはず。10代の時のアレとアレ。社会に放り出された20代のあれやこれや。何十もの小さな気づきの相互作用で、今の「価値観」なるものは形づくられている。

自分らしさをつくるとは、これまで「気づかず」になんとなく積み重ねていたそれらを、意識的に積み重ねること。それ以上でもそれ以下でもない。生活の中で「そうか、これまでこう思っていたものは、実はこうだったのか」という小さな捉えなおし体験。そして、広告の仕事とは、その小さな気づきを生活者のかわりに発見する仕事。あらゆる商品・サービスは人の人生のある一面に対して改善しようとするものだ。その際、さりげなくブランドネームをタグ付けて見つかるように動線上に置いておく。そんな行為である。

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