広告クリエイティブの基本は「一語一画(ワンビジュアル・ワンキャッチ)」であり、様々なスタッフが絡むがその根本はコピーライターの「言葉」とデザイナーの「ビジュアルイメージ」の会話によって成り立つ世界だ。両者の綱引きによってメッセージの精度は上がり、99%無視されるはずの情報が初めて人の目に留まり、時に購買行動を引き起こす。ここで一番ダメとされているのが「ビジュアルを説明するコピー」だ。それは単なるキャプションであり、10ptで入れるべき言葉である。
メディアに横行する、キャプション見出し
広告と違い、「読まれるのが当然」というスタンスだからであろうか。メディアの見出しは単なるキャプションレベルのものが横行している。旅行雑誌を紐解けば、ちょっと雰囲気のあるカフェの写真横には必ず「古民家風カフェでほっこり」などと書いてあるし、丁寧な暮らしメディアを紐解けば、竹籠に入った天然酵母のパンか何かの写真横にだいたい「大切な人へのおもてなしは、心をこめて」と書いてある。ライターじゃなくても、誰でも何も考えなくても書ける言葉たち。スペースを埋めるために適当な言葉を置くくらいなら、スペース(=メディア)ごと無くしてしまえばいい。
言葉だけではない。扱う情報のレベルも目にあまるものが多い。料理雑誌を紐解けば「豚肉はビタミンBが豊富だから夏バテにピッタリ」、ライフスタイル誌を紐解けば「〇〇な私になるために必要な3つのこと。①夜はぐっすり眠る②栄養バランスのよい食事を摂る③適度な運動をする」。まるで小学校の「ほけんしつだより」である。だいたいの媒体資料には「うちの読者はミドルアッパーで情報感度の高い知的層です」と書いてあるにも関わらず、当のメディアがあまりそのことを信じていないようだ。
言葉のあたりまえ体操で、激やせするメディアたち。
自立した大人に、「ほけんしつだより」の内容を説くということはナンセンスを通り越して大変失礼な行為である。問題は、送り手側は「読者なんてこの程度だろう」とタカを括って、この失礼さに気が付いていない点だ。そして現実は送り手よりも受け手の方が賢いと見えて、メディアの部数は減少の一途だ。
書き手は、書く前にまず徹底的に調べて、自分自身が書く前よりも賢くなっていなければならない。そして、自分にとって「UNKNOWN」だった情報を軸に、10時間のインプットを1分で読めるコンテンツに凝縮して書く。これがメディアが担うべき価値創造というものだ。