揉み手構文と白文字系文学。Webメディアが「読み物」になれない理由

テキストは読まれない、ユーザーは写真を見るから写真を増やそう。とは、Webメディアの編集部内でありがちな議論だ。ユーザーテストやUIのABテストをやっても、だいたいそれを裏付ける結果が出る。だが、ここにABテストの落とし穴がある。

そもそもダメなAとダメなBをどれだけ比べても「全然ダメ」と「話にならん」の結果しか並ばない。ペンギンを捕まえてきて、どんな羽をつけようがダイエットさせようが飛ばないものは飛ばない

揉み手構文と白文字系文学

そもそも、そこに並んでいるテキストがつまらないのである。顔出しもしていないどこぞのライターが「○○ですよね。いかがでしたか?」と謎の距離感でにじり寄ってくる「揉み手構文」や、当たり前のことを延々と3,000文字並べた挙げ句結局何も言ってない「白文字系文学」ばかりでは、そりゃあ誰だってテキストは飛ばすようになる。

距離感のとり方がおかしいのは無理からぬところもある。通常の場合、ライターは記事を納品すればその反応をフィードバックされることはないからだ。また、編集部内でもだいたいの場合「PV数」しか見ていない。タイトルの知見は溜まっても、本文に関してはほぼ見ていないに等しい。

数字を通した読者との会話」の積み重ねを詰め込む

私がやってきた記事広告は「結果」が全てだ。広告主は1記事につき、平均200万円の広告予算を投下している。「なんとなく」では済まされないため、私は1パラグラフごとに明確な狙いを持ってテキストを配置し、その都度CTAを設けてリアクションをとるという手法を編み出した。

CTAのクリック率と読了率の測定値を併せて見れば、読者がどこに反応し、どこで興味を失ったかがわかってくる。1記事あたり5箇所ほどCTAを設け、かれこれ150本ほど検証し、レポーティングを行ってきたので750回の仮説と検証作業を行ったことになる。一行一行、画面の向こうの数万人の読者と会話を重ねていく体験は、なかなかエキサイティングだった。

アトリエライフ通信は、これまで厳しい読者に教えてもらった原則に則った記事だけでコンテンツを構成していく。読者の新しい読書(?)体験になれば幸いだ。

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