仕事ができる人とは、何だろうか?私は広告代理店やメディアという立場で、様々な企業に出入りし、数えきれないビジネスパーソンとお仕事を共にしてきた。素敵な人もいたし、カッコいい人もいたし、尊敬する人もいたし、もちろん二度と顔をみたくない人もいる。それらの経験を踏まえてひとつ言えることは、仕事ができる人とは、立場を問わずフワフワした議論を「確定」させる人だ。
知識労働者の仕事とは、無形物を概念として定着させること。
今流行りの言葉でいえば「言語化」だが、何も概念定着は言語に限らない。リーダーなら意志で、コピーライターは言葉で、アートディレクターはデザインで、広報ならプレスリリース案で。フワフワ=不安なので、鮮やかにカタチにして「あ、コレいけるかも」とパッとチームを明るくする。プロジェクトの途中で適宜素敵なアウトプットを差し込んで、メンバーの感性を刺激し続けられる人。
私の最も信頼するカメラマンは関学の後輩で一回り以上も年下だが、これを徹底している。多くのカメラマンは「もうええっちゅーねん」というくらいしつこくシャッターを切るが、彼はルパン三世の石川五右衛門のようにだいたい一発撮りだ。そして何をするかと言えば、その場で簡易レタッチをしてその場で完成物を見せる。写真のクオリティが圧倒的なこともあり、画像チェックが済む度にうなぎ上りに現場が盛り上がっていくのだ。
彼は現象を切り取り、写真として定着させていくことでその現場の大成功を「確定」させる。そして現場の雰囲気を牽引するのだ。そんな人がいたら、そりゃあ仕事を依頼したくなるだろう。リーダーシップは営業や管理職がとらなくてはならない、なんて決まりはどこにもない。カメラマンはカメラマン(彼は写真家と名乗っているが)として、コピーライターはコピーライターとして、新入社員は新入社員としてそれぞれが空気を牽引しあう。これが良き現場であり、たとえその日一日だけでも良きチームなのだ。
仕事をしない人は、周囲を不幸にする。
この逆、つまり仕事をしない人とは、一向に物事を確定させない人である。一部に人気の政治家もそうだが「あるいは、〇〇という考え方もできるのではないか」と評論家的発言に終始し、一向に自らの意志を発動させない人だ。何を根拠の上から目線なのかは知らないが、このテの人がいると大体現場は納品レベルの知的作業を何度もやり直しさせられることになり、どんどん顔が死んでいく。広告代理店など「社外」の人からはこうしたお偉方にはモノ申しづらいのだが、そうした事情を理解して、現場リーダーとしての意志を発動し、毅然と戦って社内をまとめてくれた担当者の顔は今でもハッキリと覚えている。