人口が減少していく社会でドメスティックな市場を相手に戦う場合、必然的にLTVの重要性が増す。つまり、1人の顧客から生涯どれくらい買い続けてもらうか?そこで重要になるのがブランドコミュニケーションのタイミング。多感な時期に聴いた曲は生涯を通して心の曲になるように、「青春の1ページに残すブランド戦略」は愛され続ける第一歩となる。
多感な時期にブランド接触することで、その時の「切実な」感情と共に青春の1ページの記憶に鮮烈に残せる。と同時に、大人になってからはその想い出を起点に「時間のレバレッジ」が働くのでプレミアムな価値も生まれる。何より、他のブランドが後から何をしようと、もはやその座を奪うことはできない。
各社が繰り広げる「青春の1ページに残す」ブランド戦略
事例①:カロリーメイト「光も、影も、栄養にして。」
画像出典:カロリーメイト受験生応援シリーズ第10弾 新CM 『光も影も』篇公開。10作目にして初めて“美大受験生”にフォーカス、“多様な受験”を描く
今年のTCCグランプリ、カロリーメイトの「光も、影も、栄養にして。」は、青春の1ページに残すブランド戦略の中でも珠玉の一作。「消しゴムってさ、間違いを消すものじゃなくて、光を与えるものなんだって」という、デッサンを学ぶ中で出会ったキラリと光る人生の本質を拾い上げてるのが上手い。さらにそのBGMで流れるのは、彼女たちの幼少期に浴びるように聴いていたプリキュアの主題歌をしっとり(=成長)アレンジし、ピアニスト角野 隼斗さんの演奏で聴かせる。
未来が無限の可能性を持つ思春期は、同時に自分自身が未規定であるということ。未規定であればあるほど「青春の影」は大きくなる。光が強ければ、影もまた濃くなるが、本来その両者は同じもの。だから「光も、影も、(もちろんカロリーメイトも)栄養にして。」自分の人生を疾走するのだ!と励ますメッセージになっている。
また、カロリーメイトは2018年から夏の部活生にも寄り添い続けている。今年のテーマは商品名にもかけた「チームメイト」。部活に入る理由としてチームメイトの存在を挙げる生徒がアンケートでもやはり多かったということから企画された。
事例②:ポッキー「ポッキーって、楽器じゃん」
ポッキーの今年のコミュニケーションテーマは「音楽」。 ポキっと割れる音やリズミカルな食感という物性を軸に、これまでCMソングやダンスなどでコミュニケーションをしてきたポッキー。今年は「ポッキーって、楽器じゃん」のメッセージで世代や国境を超えて人をつなぐ音楽&ポッキーを訴求。ポッキー&プリッツの日である11月11日に、アイナ・ジ・エンドなどを迎えて「ポッキー音楽祭」を開催する。
「ポッキーって、楽器じゃん」のフレーズ、2006年のダンスCM第一弾で「ポッキンナベイベー!」のフレーズとともに一気にブレイクした「ガッキー(新垣結衣)」も想起させるように作ってる気もしないでもない。あのポッキーダンスCMシリーズが提示したイメージによって「タクトのようにポッキーを持つこと自体がイケてる」というパーセプションが生まれ、放課後に鞄から取り出したくなるお菓子ナンバーワンとなった。
事例③:コロナ明け前後のポカリスエット広告
ポカリスエットは、毎年春に若者向けのキャンペーンを開始する。コロナが5類に移行する直前の2023年春のキャンペーン「青が舞う」篇は再起動のファンファーレとなる(←電通古川さんっぽい表現)CM。「みんなでプール掃除したい」「思い切り廊下をダッシュしたい」「体育館でライブしたい」など満喫できなかった10種類ほどの青春シーンをテンポよく描き、冷えたポカリのボトルを友達に押し当てる「ポカピタしたい」も混ぜ込んで行動喚起訴求。
翌2024年の若者向けポカリスエットCMは、抑圧からすっかり解放された女子高校生(キャスト2人は前年と同じ池端杏慈&椿)を描く。「潜在能力は君の中。」をキーメッセージに、海に出かける様子にピクセルアートを組み合わせて「学生の生命力が発露する瞬間」を表現。担当したコピーライター曰く「ポカリを今の若者の日常に置き直すアプローチ」だという。
優れた広告は対象となる生活者の代弁者として、社会にメッセージを放つ。それによって彼ら彼女らと同じサイドに立つブランドとなる。コロナ明けの若者向けコミュニケーションでは「禁止された青春」により奪われたかけがえのない時間をCMによって鮮烈に見える化し、問題提起と同時に強いカタルシスを生んだ。
事例④:NTTドコモ「卒業生100万人の答辞」
コロナ禍で青春を奪われた若者の声を代弁する広告として鮮烈なのが、学生生活の殆どをコロナ禍で過ごした代の「卒業生100万人の答辞」だ。消えた試合、消えた文化祭、消えた修学旅行など失われた青春を挙げつつ、大人達は堪能したそれらの記憶を足掛かりに「青春とは密そのものだったのです。」と示す。「大人の皆さんが思い描くような青春じゃなかった」の後に続けて、「でも私たちは、失ってばかりではありません。代わりに得た大切なものだってたくさんありました」と切り返し、大きな喪失を抱えても、それでも前向きに生きる決意を表明。
記憶は美化される。広告も美化される。
YOASOBIの群青ってまさに「青春の群れ」だからポカリスエットのCMソングだったと思ってたし100万回くらい脳内再生してた(「でも君が見えた篇」的な動画)のに、改めて調べてみるとアルフォートのCMソングであった。でも同じようなこと思ってる人は多いみたいで、YouTubeを探したら「群青×ポカリスエット」の大量のMAD動画が作られていた。共同幻想というやつであろうか。
2006年の第一弾ダンスCMも、改めて見てみると随分自分の記憶とは違っていた。以降2008年にオンエアされた忽那汐里版の「お洒落番長」もガッキーが記憶の中で上書きしていたし、ホンモノのCMよりもさらに「いい感じ」で記憶されていた。このように、早い段階で記憶に残すことで、生活者の記憶の中でどんどんその印象は磨かれ、強化されていくのだ。
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