大学で何を学ぶか?これは人によって答えは100通りある問いだが、まず本質的な部分では「自分の興味分野を極める方法」を学ぶということがある。興味分野自体は長い人生の中でいずれ見つけるとして、いざ出会った時に極めていく姿勢を「教授」という人間性を通して体得していく。まだ若い感受性の豊かな時代に、ひとつの「生き方」に触れることで受ける影響は大きい。
もうひとつ短・中期的な視点では、この世界で自分がこれから耕していく「畑」を見つけること、もあるだろう。利害関係のない同年代の人間たちとの関わり合いの中で、自分がどのような貢献の仕方をすれば喜びを感じる人間なのかを見極めていくこと。大学の四年間はバイトのためでも勉強のためでもなく、まさにこれを決定するための四年間なのだと思う。
自分の「畑」を決める。
私も20年ほど前に就職活動を経験した。大学の中でキラキラして見えた先輩たちが電通などマスコミ業界に入っていくのを見て、迷わず広告業界に入った。そしてこの頃先輩たちを見ながらなんとなく仮置きした「カシコオモシロイ」というコンセプトが、以来変わらず私の人生のテーマとなっている。どうせ毎日昼メシや飲み屋で話すなら、カシコオモシロイ人たちと一緒の方が人生楽しくていい、と考えたのだ。
今親しくしている人たち(全員飲み仲間)はほとんどが広告畑だ。広告畑の人たちの特徴は、飲みながらもずっと仕事の話をしているところである。とにかく仕事のことが大好きで、そのことを考えているのが楽しいのだ。これが私の肌に合う。バカ話だけで盛り上がっても、その時はそれで楽しいがやはり虚しさが残る。今取り組んでいる仕事を通して、ニンゲンのことを考え、社会のことを考える。ワークライフバランスなんてめんどくさいことは考えない。
面白いだけじゃ、つまらない。
およそ20年前に「カシコオモシロイ人生」を志し、私のたどり着いた結論は「面白いだけじゃ、つまらない」ということだ。面白さというのは何らかの真理の一端に対する修飾語である。飾りだけがひとり歩きしてもどこにもたどり着かない。栄養のないスナック菓子のようなもので、いずれカラダを蝕む。ちゃんとプロの技術で美味しいのに、鮮度も良く栄養バランスにも優れた食事を毎日摂るようにする。
シューティングゲームやテーブルゲームなど、やっている間はドーパミンが出て楽しいが終わったら何も残らないようなものは極力遠ざける。そのかわりに群雄割拠でハラハラしながらも帝王学を学べる「キングダム」や、笑いながら「メタ視点の日常化」を学べる松本人志のトークのようなものを毎日享受しながら生きていく。これが「カシコオモシロイ人生」というものだ。