思わず二度見してしまう、そしてつい憶えてしまう。「異物感」という広告フック

99%が無視される過酷な情報環境下で、有効な広告のフックのひとつが「異物感」だ。コンテクストの一部に裏切りを仕組むことで思わず二度見させ、ブランド記憶につながる関与を生むアプローチ。

広告に異物感を仕込むことは、表現としての差別化を図ること。メッセージを受け取り、記憶するのは受け手ではなく送り手側の責任。だから明確な意志を持ってメッセージを組み立て、可能な限りのあらゆるフックを詰め込む必要があるが、その中でも「異物感の混入」は波動拳級にメジャーな一手。

TVCMなどの広告クリエイティブはもちろん、街中のプロモーションやパブリシティをとれる広報・PRなど、あらゆる領域で「異物を仕込むセンス」は鍵になる。

さまざまな領域における「異物感」アプロ―チの例

TVCMのクリエイティブ:ホットペッパー「食べました」

最もわかりやすい例のひとつが、2000年初頭に話題になったホットペッパーの「洋画アフレコCM」だ。修羅場のような洋画シーンなのに、ベタベタの関西弁で、ものすごくしょーもない会話をする。

「女:スパゲッティ食べたやろ」「男:食べてへんよ」「女:ケチャップついてるやん」「男:食ーべーまーした!」「私のクーポン券使って?」「男:使っ・・たような気がしますクーポンマガジンのホットペッパー!」

この構成だけでも「異物感」の塊だが、実はもうひとつ隠し味がある。それはこのアフレコ、広告を制作した電通(当時)CMプランナーの山崎隆明氏が声をあてているのだ。声の仕事のプロではない、からこそ出せるフシギな味。

TVCMのリメイクという「手法の異物感」

制作手法そのものに異物感を纏わせるアプローチもある。24年度FCC賞の如水庵「筑紫もち」は、99年にオンエアしたTVCMのリメイク。孫を加え「筑紫もちの『つ』は、つづくの『つ』」のタグラインで訴求する。

映画やドラマでよくある「リメイク」の手法をTVCMに転用している。同様の発想でいけば「スピンアウト」や「アニメ化」など、既存のコミュニケーションを足掛かりに面白く転がしていくことができる。

プロモーションでの異物感例:マットレスの上でメシを食わせる

「スリーピー・とうふマットレス」の上でランチできる「寝ころび台湾料理店」。「とうふ×マットレス」と商品自体に強いギミックがあるのに、さらにマットレス×食事という異世界コラボ。通りすがりの人の慣性の法則を打ち破り、足を止めて立ち寄らせるためにプロモーションは「ナニコレ感」が重要だが、ギミックの二重奏にすると割と強めに引力が発生する。

「寝ころび台湾料理店」で思い出したのがchano-ma。靴脱いで脚伸ばしながら食事をするスタイル。外食なのだけど、家飲みしてるようなフシギな親近感が感じられる体験。しかしマッタリしちゃうから話はそんなに盛り上がらないという。料理やインテリアではなく設定を変えることで別のモードを体験させることもできるという一例だ。

店舗の企画棚:本を真っ黒な紙で包む

商品の売れ行きが鈍くなってきた時には、プロモーションの切り口を変えたりパッケージを変えたりする。そして後者は、お店の工夫としても取り組める。文春文庫がジュンク堂で行った「本音屋」は純文学作品の選書20冊を黒く包み、読後に得られるインスピレーションのみを表示。本との新しい出会いを創出した。「黒塗りの棚」という店内の異物感も相まって、前月比3.5倍の販売を記録した。

「思春期って、痛い」や「家族って、やさしくて、恐ろしい。」など、読後のインサイト(=本音)で本をラッピングした本音屋は、本の「読後感」を売っている。読み通した先には、こんな気分に浸れるよ!という先人の一行体験談。普段背表紙で選ぶ本選びの、新しい購買体験。売るための知恵を注ぎ込んだ本の表紙を包むこと自体が斬新である。いつもなら手を伸ばさない本に出会えることは、リアル店舗の企画棚ならではの素敵な体験といえる。

変則・逆輸入型アプローチ:海外に向けての大声を近場に聞かせる

森永製菓のチョコモナカジャンボはインバウンド旅行者向けに「A tastiness only found in Japan」をスローガンに忍者を起用した動画やサンプリングを実施。メインターゲットはインバウンドの旅行者だが、もちろん日本人にもブランドのリマインド&リフレッシュ効果は絶大。日常に溶け込みすぎたブランドは、「海外向け」に打ち出す様子を日本人に見せることで新鮮な捉えなおしを促せる。

この事例では海外旅行者向けに「ニンジャ・ゲイシャ・チョコモナカ」と説明書的アプローチをとることで、外国人はもちろん日本人の方が街には多いので日本人にもアピールできる。さらに「街ゆく外国人がみんなチョコモナカ食ってる」という謎のトレンド感で刺激できる。

本音屋の価値=物語世界との素敵な出会い

好きな作品に出会うことは、この星に生まれてきてよかった理由がひとつ増えることだと思う。現実は刻々と変転するが、一度世に出た作品世界は不変(変えるとピープルVSジョージルーカスに)。事あるごとに空想の世界にその作品世界を呼び出し、反芻することで自分の感性をありたい方向に拡げていける。

Xでたまたま流れてきたので再見した「ジョー・ブラックをよろしく」も素晴らしかった(昔観た時はそうでもなかったのだが)。人間の「愛」に興味を持ってしまった死神=ブラピを通して、「地球上の人生」の素晴らしさを捉えなおす体験。ヒロインのクレア・フォーラニの「目」の演技と、ブラピの「ピーナツバターを初めて食べた死神」の演技は最高。

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