TCC(東京コピーライターズクラブ)などの「文壇」のないEditorial AD=記事広告の世界では、良い/悪いの尺度が業界的に共有されていない。このあたりの問題意識については、以前noteにて「良い記事広告とは?」というテーマでまとめたので詳述は避けるが、「とは論」をすっ飛ばして広告の体をなさないコンテンツが99%という状況だ。
記事広告なのだから、記事で商品を紹介すればいいのだろうという素朴な解釈でオリエンシート通りに丁寧に紹介するメディアも多い(ほとんどか)。しかし、丁寧に紹介すれば伝わるのであればプレスリリースを打てばあらゆる商品は売れることになってしまう。これなら5万円で済む話だ。一本の記事広告に150-300万円も支払ってもらっているのであれば、その意味付けくらいはもう少しマジメに考えるべきだろう。
読者の「気分」を編集する仕事。
本来編集サイドに広告制作を依頼する意図としては、読者マインドを深く理解した編集者による代理の説得を期待しているわけである。しかし「読者マインドを深く理解している」かどうかはさておき、代理の説得についての意識が低すぎる。だから冒頭の「オリエンシート通りの記事」が量産されてしまうのだ。この場合に本来行うべき作業は、日本語から日本語への翻訳である。
その場合に起点になるのは、読者がその商品(あるいは商品カテゴリ)に抱いている「前提意識」である。この前提意識の把握こそが、媒体というクラスタの専門家である編集者に期待されている点だ。前提意識を正確に把握できれば、あとはゴールとなる求めるパーセプションとを線で結ぶだけでいい。何を編集するかというと、その差分を解消する認識を編集すればよいのだ。
読者の「前提意識」を一文字ずつ塗り替えていく作業。
記事広告における執筆とは、読者の「前提意識」を一文字ずつ塗り替えていく作業である。1文字〇円の仕事とは作業内容自体が全く違う。一文字ずつ、読者の気分を逆算して書いていくため、本来の目的を正しく認識して記事広告を制作する場合に8,000文字も書けるはずがない(そんなに書いたら計算ができない)。