日頃の心がけの重要性。ある日突然迫られた「究極の選択」

キリスト教の聖書に出てくる「悪魔(サタン)」という存在は、人を試すことが趣味らしい。イエスも荒野での修行の最後に悪魔におちょくられたが「神を試してはならない」とあっさり論破した。時は流れて、現代においてはゴッサムシティでジョーカーという悪魔が人間の正義を試して映画館を盛況させている。

私に降りかかった悪魔の悪戯

この悪魔(サタン)は、神話や物語の世界だけでなく、現実の私たちの生活にも訪れる。もちろん私にも何の前触れもなく訪れ、究極の選択を迫ったことがある。そう、あれはまだ私が20代後半の頃。とある出張で地方にでかけた私は、同僚と軽く打ち上げを済ませたあと、真夜中一人ビジネスホテルの部屋へ帰った。達成感と乾杯の心地よい余韻は、しかし部屋に入ってしばらくして打ち破られる。

悪魔は突然現れた。うわさに聞く通り真っ黒な身なりをして、思いのほか小柄だがきわめて俊敏だ。私はあたりを見渡したが、ビジネスホテルにゴキジェットが常備されていることはない。武器になりそうなものを探してデスクの引き出しを開けてみると、2つ入っていた。聖書と仏典である。

私の決断

突然迫られた究極の選択に、私は狼狽した。しかしその間にも悪魔の足音は迫ってくる。仏典か・・しかし仏教は殺生を禁じているという。ってことは聖書か・・しかしミッション系の大学を出ておいて、友人は牧師なのにそんなことをしてお前の良心は痛まないのか。

冷静な判断力を取り戻すため、私は目を瞑りしばし無我の境地に入った。次に私が目を開けた時には、夜はすっかり明けており、悪魔は消え去っていた。この世に時が解決できない問題は、ほとんどない。これが、私が人生の基本方針を獲得した瞬間であった。

一部屋に、一部屋。

ゴキブリホイホイ

 

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