大学の就活時代の自己分析における一番の落とし穴は「就業経験のない中での判断」である点。仕事やったことない人が考えた「私はこんな仕事人になる」が使えるわけはないのに、多くの人はそのままキャリアを進めてしまう。これが不満の原因。だから社会人になったら『2度目の自己分析』が必要になる。
就活の自己分析は面接のための経験の棚おろしでしかなく、所詮は「なんちゃって自己理解」だから、社会人になったら改めてゼロベースで自己理解をやりなおす必要がある。リアルな仕事経験はそれを考える大ヒントになるので若いうちにいい仕事はもちろん「大キライな仕事」も是非とも経験しておくべき。
アスピレーション時代のキャリア深掘りの考え方
これからのAI時代、我々に求められるのは容易に「生成」できない意志(アスピレーション)と創造力(インスピレーション)。それには自ら「問い」を立て続ける能力が必要になる。ゼロからWhat?Why?を掘り出す力。にもかかわらず、学校では今でも「解答」を導く訓練だけをひたすら16年間やらされる。社会人になるために必要な準備期間のハズなのに。
戦中戦後の富国強兵~高度成長期において、規律を守って大量生産体制を支える我慢強い国民を育てるために生まれたのが現代の教育制度。いまだに残る組体操、行進、前に倣え(前例踏襲もはなはだしい)。そして「内発的モチベーション」を根絶やしにする部活。これらはある種のプロパガンダであり洗脳でもある。
朝起きて、時間割をこなして、帰ったら宿題。学習そのものより、規律を守る国民を生むことが一番の目的で、現代のVUCA社会を切り拓く素養とは真逆である。ミッドライフクライシスなど、いい歳したオトナの内的崩壊が社会問題化するのも当然といえる。
キャリアに「正解」なんてものはなくて、その時その時の自分にとって一番「しっくりくる」方を自分のアタマとセンスで選びとるしかない。なのに学校教育で16年間も「正解」を導く訓練をしちゃったものだからついついそれを求めるクセが抜けない。まずはその悪癖の脱洗脳からはじめるのが本当の意味での自分らしさへの第一歩だ。
まず「問い」を向けるべきは自分自身
AI時代にはますます自ら「問い」を立てる能力が必須になるが、まず最初に問いを向けるべきは自分自身。いきなり複雑な世の中に問いを立てるのは難しいし、解も出せない。一方で、自分のことならある程度わかっているし、解も自分の中にある。自己理解を深めながら思考訓練を積み、その上で改めて社会に向けて思考力を発揮していくのがよいだろう。
キャリア打開の基本となる自己理解は、自分の価値観を紐解いていく作業。その過程で見つけたいくつかの気づき・発見は、言葉にすることで「名前をつけて保存」できる。それは自分の人生の指針になるのはもちろん、他人の人生を変えるキーワードになるかもしれない。自分に深く響いた言葉は、似たようなモヤモヤを抱えている他人にも強く響くものだ。
キャリアを考えるとき「自分が本当にやりたいことは何か?」を突き詰めても答えは出ないもの。そんなときは問いのアングルを少し変えてみて「自分が絶対にやりたくないことは何だったか?」を一つずつ思い出してみると、NGリストの影から少しずつ自分のやりたいことが浮き彫りになる。嫌いなことを知るのも自己理解だ。
「ちいさな発見」を紡いでいく
自分自身に対する「ちいさな発見」を紡ぎながら進めていく自己理解は、アタマの中の配線をコツコツとつなぎ直していく作業。全然関係ない過去の体験同士がつながって新たな自分の一面を発見したり。「創造とは異質な断片同士の新たな組み合わせである」とは自分自身の記憶の中でも起こりうる普遍の原理なのだ。
「ちいさな発見」を積み重ねる日々は、一歩ずつの地道な歩みかもしれない。しかしときどき、それらを貫く大きな視点が見つかる。するとこれまで積んだ石ころがぷよぷよ的連鎖を起こし、立派な石垣に一変する。一つひとつ発見を重ねることは、自分らしさの城壁の礎を拾い集めていくことなのだ。
考えを進めるために「書き出す」
自己理解をしようと思った時、アタマの中で考えているだけでは思考が同じ所をグルグル空転することが多い。人間の脳は刺激→反応モデルなのでまず具体的な言葉を書き出してみる。すると書いた言葉が次の言葉を引き出してくれる。この繰り返しで新たな思考が一歩ずつ進む。これがジャーナリングの効用だ。
1日10分でも内省や瞑想の時間をとると、残りの23時間50分の時間から拾える気づきの収穫量が上がる。内省することは、一日の取れ高の記録と発見の時間である。と同時に自分自身の心のアンテナの感度をメンテナンスする時間でもある。この両輪で、自分の人生も力強く駆動しはじめる。